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クールトーク。第1弾 縦横無尽に新しい風を起こし続ける男、山本海人(前編)

クールなコミュニティの中心人物、山本海人のこだわりの源泉とは

「クールトーク。」記念すべき第1弾は、自身のファッションブランドSON OF THE CHEESE(サノバチーズ)、本場アメリカスタイルのグリルドチーズサンドショップBUY ME STAND(バイミースタンド)、そして麻雀と蕎麦を組み合わせた新感覚バーSOBER(ソバー)のプロデュースする山本海人さんにフォーカスを当てる。山本さんの過去・現在・未来を余すことなく2回にわたってお伝えする。

—日本の大学には行かずにアメリカに渡ったとのことですが、その経緯から教えてください。アメリカには憧れがあった?
アメリカに憧れたというか、日本の大学が嫌いだったんすよ。雰囲気とか、遊び方とか。それで、俺の親父が「アメリカ行くか、軍隊行くか」みたいな感じで。軍隊とかあんまり好きじゃないし、それでアメリカ選びましたね。


—9.11のテロで縛りが厳しくなってきて日本に帰ってくることになるわけですが、その後のプランみたいのはあったんですか。

アメリカで貧乏で長くいたから日本に帰ってきた頃は少し変な状態になってて、人に会いたくなかったんでドーナツ屋で働きだしたんです。研修でニューヨークにも行けるかもって話で。それでドーナツ屋1年やって、1日に2000個揚げてたんでドーナツの作り方もマスターしました。でも結局ニューヨーク連れてってもらえないから辞めちゃいました。その後は、お金になることはなんでもやってくれっていう企画会社で3年間サラリーマンです。石の上にも三年す。その時に有名ブランドの下請けとかやってく中で、LDHさんに引き抜いてもらって1年くらい生産と衣装やってました。企画会社の時は副業でバーテンダーもやってたんで、週六で働いてました。だから飲食もアパレルもキャリアは同じくらいなんですよ。
 

—サノバチーズの始まりはどんな感じだったんですか。

27歳の時なんで9年前ですね。Tシャツを自分で作ってて、リュックをパンパンにして他の店とかに売りに行ってました。balとかに買ってもらおうとして持って行ってました。アメリカ帰ってきたばっかりでオリジナルの店だって知らなかったんですよ(笑)個人用に一個買ってくれました。それはアメリカ時代から知ってるパートナーとやってて、取り分は半分半分でやってます。切り分けてるんですよね、一人で全部取らない。

—全部一人でやりたい人も多いじゃないですか。

お金が欲しい人たちですよね。俺は時間の方がいいですよね。そこそこのお金と時間があった方がよくないですか?出荷作業とか伝票書いたりとか、それって誰でもいいっていうか。そもそもお金、あんまり要らなくないすか?

—要らなくない人の方が多いと思います…でもお金より時間の方が大事っていうのは、すごくいいですね。

よく考えると飯タダで、服もタダで、蕎麦もタダなんで。衣食住なんで、あと家もタダだったらもう生活にお金要らないですからね。まぁ飽きちゃいますけどね。

—そういう考えって昔から?

多分シアトルとかじゃないですかね。ポートランド、シアトルの考えっていうか。今初めて東京以外に住んでるんですけど、ちょっと近いですよね。農家の人が野菜持ってきたり、家に来てご飯作ってくれたり。
 

—スケートコミュニティも仲間意識あるでしょうね。

 

ありますよ。好き嫌いも多いですけど。スケボー熱はトレーラーの時スケボープール作った時がピークでした。家でスケボーするのがめっちゃ贅沢で。ゴールですよね。トニー・ホークとかも家にパークあって、ゴールですよね。でもスケボーを流行らせたのには結構貢献したと思います。スケボーと雑誌の撮影を組ませたのはうちだと思うんですよね。モデルの子がスケボー持ってたりとか、雑誌の撮影はほぼうちでやってたんですよ。ちょっとでもそれで続いてる人が増えたらいいすね。



—その当時の家っていうのが目黒のトレーラーハウスで、プールを作ってサノバチーズという名前で色んな人が集まってきていた場所ですね。

当時スケーター以外の人脈はなかったんです。隣にCLASKAがあって、ある日広告代理店の社長さんの結婚式があったんですね。その人たちがブワーって流れてきて。その次の週にはハウススタジオとして使いたいって話が来て、色んな人に会うようになりました。プール・BBQ付き時間無制限飲み放題3000円でやってたんです。最終的には芸能の人とかも多かったです。でも近所からクレームがきて、スケボーもBBQもできなくなって。スタジオだけやっててもつまんないんでやめちゃいました。それでここ(現在渋谷並木橋に構えるサノバチーズとバイミースタンドの店舗)を作ったんです。
 


—バイミースタンドのサンドウィッチのレシピはニューヨークで見つけてきたんですっけ。

そうそう。生のリンゴと生のカマンベールチーズ使ってガーリックソースがかかってて。
オリジナルはもっとちっちゃいんですよね。アメリカにいた最後の方で古着の買い付けしてた時、たまたま入ったとこで。それまではBLTみたいな味が想像できるやつしか頼まなかったんすよ。でもアメリカ最後だから違うの食べようと思って。それがめちゃめちゃ美味しかった。普段選ばないですけどちょっと冒険したら、めっちゃ美味しい!ってなって。それからめちゃくちゃ食いまくったんです。それが頭に入ってたんですが、人にはずっと言ってなかったですね。5年くらい寝かせてた。今やっとみんな始めたじゃないですか。でももっとヤバいのありますからね。日本で出すと高くなっちゃうんすけどね。



—5年寝かしたレシピもあって、満を持してサンドウィッチ屋さんやるぞと。

はい、バイミーで始めた感じですね。色々と紆余曲折もあったんですけど、なんとか着地しなくちゃいけなかったんで。うち副業があるから超原価かけられるんすよ。給料は固定給プラス歩合です。服屋もそうです。

—先ほどのお金の話もですが、なんでそういう商売ができるんですか。

そもそもトレーター住んでて、その時月10万で生活できるなってわかって。なので、こう周りに散らすっていうか。あと、個性が立ってるやつが多いから、バイミーのスタッフも色んな人と出会えて、次の仕事につながるとか。それって働いてていいですよね。それでいい人たちが集まってくれてるっすね。時間通りに来ないっていうのはありますけどね、みんな(笑)
 

ソバー、湯河原での生活、次のゴール…山本さんとのトークは後編につづく。
 

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