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卯城竜太とパンク—活動に流れる過剰さの源流

新しいプロジェクトが公開されるたびに大きな話題を呼び、いまや日本のアートシーンを代表する存在となったアーティスト集団・Chim↑Pom。昨年の秋から今年の夏にかけて歌舞伎町や高円寺を舞台に行った「Sukurappu ando Birudoプロジェクト」は、一冊の書籍にまでまとめられたが、最近も展示のため、アメリカやヨーロッパ、アジアを飛び回っているという。

そんなChim↑Pomのリーダー・卯城竜太が、じつはアート活動を始める以前、音楽に傾倒した時期を過ごしていたことは、知る人のみぞ知る話。たしかに彼らの展覧会では、いまでも多彩な音楽家との共演が恒例になっているが、卯城は過去にどんな音楽に憧れ、音楽とアートとの関係をどのように捉えてきたのだろうか? キーワードは「パンク」。この言葉に、彼が抱く思いを訊いた。


「パンクとは何か」を考え続けて、アートへ

もともと革命家や、悲劇的な死を遂げるヒーローへの憧れを持っていたという卯城。そんな自分のなかのモヤモヤした願望を、しっくりと表現してくれたのが、高校1年生のときに年上のいとこから聞いた「パンク」の単語だったそうだ。さっそく卯城は、のちにChim↑Pomのサブリーダーとなる同級生の林靖高らとバンドを組み、その音楽を探っていった。

「初期パンクは洗いざらい掘って触れたけど、一番衝撃だったのはGHOUL(グール)。ボーカリストのMASAMIさんは右手のない人で、ブルーハーツの「僕の右手を知りませんか?」のモデルですね。ステージで倒れて早逝してしまうんだけど、古いビデオで観たライブが超攻撃的で、めちゃくちゃ怖かった。その後はっきりと自分のツボがわかるようになってからのアイドルは、ボアダムスやハナタラシ、OOIOOとか。どっちかというとドメスティックなものに傾倒してた。そうなると、学校なんか行っててもマジで意味がなかったし、ていうかそれ以前に朝は全く起きれなかったしで、あまり深く考えずに退学しちゃった(笑)」

高校を飛び出したものの、具体的なプランは何もない。水商売のバイトに明け暮れて、とくに真面目に練習をすることもなく、バンドはすぐに「家に集まって、宅録をして遊ぶだけの感じ」になったという。さらに、メンバーの一人が子どもを授かったことを機に抜けると、そのバンド活動は、卯城と林が近所の紳士服屋のAOKIの裏で焚き火をしながら、ひたすら「パンクとは何か」という議論を続けるものになっていった。

しかし、このころから彼らの周囲には現代美術の影がチラつき始める。当時、林は立川にある美術予備校に通っており、そこで教師をしていた中山ダイスケらの「スタジオ食堂」の活動に触れ、その情報を卯城にもたらした。また、山塚アイの活動から大竹伸朗の存在を知り、さらに会田誠や宇治野宗輝らを知ることになった。そして議論を重ねた結果行き着いたのが、「自分たちには音楽へのフェティシズムはないから、音楽にこだわる必要はない」という結論だったと話す。

「『パンク』が人類にとって一番ヤバい概念のひとつだと思う一方で、音楽カテゴリーとしてのパンクにはあまりノレなかったというか。パンクロックとか、その枠組みに収まること自体が『パンク』じゃないみたいなパラドクスがあるじゃん(笑)? そんななか、会田さんは美術家だけど、日本一のパンクスだと思っていたし、ボアダムスの山塚アイと会田さんの違いなんて自分の中には別になかった。ずっとこだわってた『パンク』が『アート』に変わっただけだったんだよね」。

その後、会田と知り合った卯城たちは、家電やバイクを用いた自作楽器のパフォーマンスで知られる、会田の知人の松蔭浩之と宇治野宗輝による実験的音楽ユニット「ゴージャラス」とも交流。その頃から、本格的に音楽を離れたそうだ。そして「存在自体にパンクなスター性を感じた」というエリイとの出会いを機に、2005年、仲間6人でまるでバンドを組むようにして生まれたのが、Chim↑Pomだった。


音楽も記憶も、すべてを受け入れて作品をつくる

話を聞いていると、卯城の言う「パンク」は、ただの音楽スタイルを超えた意味を持つことが見えてくる。むしろそれは、彼がよく口にする「エクストリーム」という言葉にも似た、常識の尺度を超える過剰さも指しているのだろう。そして面白いのは、こうした音楽や美術というジャンルを超えた過剰性の衝突が、卯城がアートと出会ったミレニアム前後の日本では多発していたことだ。

たとえば、東谷隆司のキュレーションによる『時代の体温』展や、椹木野衣のキュレーションによる『日本ゼロ年』展(ともに1999年)は、当時の伝説的な展覧会だ。これらの展覧会は、アートから音楽、漫画も含めた幅広いカルチャーを巻き込みながら、既存のジャンルの枠組みを「リセット」し、同時代の感性を見せようとしたものだった。

「『時代の体温』展の英語タイトルが、『ART DOMESTIC』なのは象徴的だよね。欧米のアートに接続しようとするアーティストもいる一方で、国内を見れば、山塚アイや漫画家の根本敬みたいな、そもそも超エクストリームな人たちが出てきてるじゃん、と。カオスな混じり合いから見えるもののヤバさに、みんなが興味を持った時代だったんじゃないかな。企画者の意図にまんまとハマったとも言えるけど(笑)、その現場にはアカデミックなアートにはない、ヒリヒリするようなリアリティと魅惑があった」。

このときに触れた「現場」感は、近年の彼らの活動でも体現されている。昨年10月に歌舞伎町で開催された展覧会「また明日も観てくれるかな?」では、解体予定の廃ビル全体にChim↑Pomの作品が展示されるなか、Have a Nice Day!やNATURE DANGER GANG、漢 a.k.a GAMI+菊地成孔+DJ BAKU、コムアイ(水曜日のカンパネラ)、さらには小室哲哉から会田誠、漫画家の新井英樹までがオールナイトで熱狂的なライブやイベントを展開。会期が終了した後は、ビルを作品もろとも全壊させるという壮大な内容だった。

また、今年の夏にはそこで生まれた瓦礫を使って、拠点である高円寺の雑居ビル・キタコレビルを建築家の周防貴之とともに大規模に改修。自身のスペース内に、誰でも24時間通行可能な、パブリックな「道」を作った。そして、そのお披露目となるイベントや展覧会の会期中には、「道」を舞台に宇川直宏やjan and naomi、どついたるねんらのライブが行われた。

「こうした展覧会の姿が珍しいと言われることが、むしろ不思議で。だって、みんな若いときはめっちゃ敏感に音楽を聴いてるじゃん、今も昔も。でも、アートの世界での高度なコミュニケーションに慣れるにつれ、なぜかそこから音楽とかを、『サブカルチャーとして混じりにくい異物』として切り分けていくような感じがある。ハイコンテキストな実験音楽は別だけど。俺らは別に戦略的に、それらを混ぜたいわけじゃなくて、ただ、この世の中にカオスな『場』や『時間』や『状況』を生み出すためには、ジャンルや人々が混じったりぶつかり合ったり溶け合ったりしてこそ、そこにワンチャンスが生まれると感じているだけなんだよね。ていうか、そういう『雑多なパブリック』みたいな現場を俺も観たいんだよ」。

アートは、さまざまなアプローチを受け入れる「場」を作ることができる。卯城はこうした雑多なものが混在する空間の面白さを、「予定調和に陥らないこと」と語る。

「これは、歌舞伎町のイベントのコキュレーターだった涌井智仁が言っていたことだけど、音楽を聞きに来た人は、アート作品にそこまで気を遣わないし、作品が目当ての人には、音楽はうるさいだけかもしれない。でも、その殺し合いのなかにこそ化学反応が生まれる可能性がある。音楽をやりながら音楽へのフェチがなかったように、俺にはモノとしてのアート作品へのフェチも欠落してるのかもしれない。むしろ、それらを巻き込んで生まれる状況や出来事、展覧会やパーティーの後にもみんなのなかに呪縛として残る記憶や、新しいものを生み出すにあたってどうしても参照されちゃうくらいの強度を持った考え方とか、すべて含んだものが作品だと思っている」。


ジャンルも時代も超えてつながる、パンクの水脈

現在では、こうして自分たちのスタイルを確立したかに見えるChim↑Pom。しかし、その歩みのなかには、自らの活動のあり方に疑問を抱いた時期もあったそうだ。それは、2010年の暮れから2011年の初頭にかけてのこと。当時、彼らはすでに重要な国際展にも呼ばれていたが、評価の一方で感じていたのは、「与えられたステージで踊らされている消化不良感」だったと話す。

「国際展に呼ばれて、その枠組みの中の歯車として作品が機能して……。もちろんそれは悪くはないんだけど、状況そのものを作りたかったはずなのに、すでにあるアートのステージのコマになった感じで、何をしているんだろうと。そこで、もっと勝手なことやろうよ、好きなことをやろうよ、というモチベーションが出てきたんだよね」。

そんなとき彼らがやったのが、音楽やアートも含めて、自分たちが好きだったものをあらためて本格的に学び直すことだった。そこに見えてきたのは、卯城が「パンク」に抱いていたものを備えた、その言葉の誕生以前から続く表現者の系譜だったようだ。

「たとえば、1950年代にヨーロッパで生まれ、政治や芸術の分野を巻き込みながら路上で活動したシチュアシオニスト・インターナショナルという前衛的なグループや、60年代の日本で活動したハイレッド・センター。彼らは両方とも、都市のなかで社会批評の実験をしたグループだけど、そもそもシチュアシオニストのメンバーだったマルコム・マクラーレンが、シチュアシオニストのやり口でセックス・ピストルズやヴィヴィアン・ウェストウッドを仕掛けていたりと、好きなものの時代を超えたつながりが見えきた。そうして歴史を掘りさげるなかで、『なんでパンクにハマっていた自分が、ハイレッド・センターとかにドハマりして、ストリートアートや現代美術とかアクティビズムとか言われるこんな地平でいるんだろう』って、これまで点だったものが、ある流れとして自分たちまで線になって届いているのが見えてきた」。

そんな振り返りの矢先に起きたのが、2011年3月11日の東日本大震災と、それに続く福島第一原子力発電所の事故だった。いまだ不確定な情報が飛び交い、多くのアーティストが身の振り方を考えるなか、Chim↑Pomは翌月には早くも、渋谷駅構内にある岡本太郎作の壁画に原発事故を思わせるパネルを設置。そして、被災地での制作も開始した。

「そうやって震災後の状況に普通にリアクションできたのは、その直前に、自分たちの存在意義を歴史的に振り返られていたことが大きかった。何にもない場所に、自分たちで状況を作っていくという意識があったから、すぐに動けたんだと思うんだよね」。

10代の卯城が出会った、「パンク」という言葉。それは、いまは現代アートの世界で活躍する彼にとって、ただの青春の思い出でも、ひとつの音楽趣味でもなさそうだ。

むしろその言葉は、アートとの出会いや、活動の振り返りという重要な場面において、Chim↑Pomの前にたびたび姿を現してきた。新しい状況を作り出す、論理や常識を超えた過剰な存在——。卯城がパンクに感じてきた、そんな「何か」に対する憧れは、彼らの活動の足元で地下水脈のように流れ続けているのかもしれない。


TEXT: 杉原環樹
PHOTO: 菊池良助

卯城竜太(Chim↑Pom)

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