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KCDに訊くオールドスクール・ファッション史 NY編

エイサップ・ロッキーやトラビス・スコットといった人気ラッパーがハイブランドのモデルを務め、カニエウェストは自ら手がけるスニーカー/アパレルラインYeezyの絶大な人気で世界を代表するトレンドセッターに君臨し、数々の有名ブランドがヒップホップに影響されたコレクションを発表するなど、近年ファッション・シーンとヒップホップの蜜月は過去最高とも言える盛り上がりをみせている。街に出て新作のSUPREMEを着こなしたキッズに話を聞けば、ファッションの分野でヒップホップがどれ程トレンドを牽引しているかを改めて認識する事ができるだろう。

しかし、ヒップホップとファッションについての正しい歴史認識は、流行りのアイテムの市場価格ほど広くは知られていないのが実情だ。今回は、ヒップホップ生誕の地であるブロンクスでクリエイティブエージェンシーとして発足し、現在は東京とニューヨークを拠点に世界中のヒップホップヘッズやアーティストから熱い支持を集めるアパレルブランド、BBPのメインデザイナーを務めるKCD氏に、ヒップホップとファッションの歴史を紐解いてもらった。


―ヒップホップ前夜~パンク・カルチャーとの融合

「まず、プレ・ヒップホップというか、ヒップホップ誕生前夜、ニューヨークのストリートギャングの時代があって。アフリカ・バンバータがいたブラックスペーズとかがGジャンの袖をカットオフして、後ろにヘルズエンジェルスのモーターサイクルジャケットみたくドクロとかチーム名を貼り付けたり、ペイントしたりしてた。そこからオールドスクール期のアーティスト、例えばグランドマスターフラッシュ&フューリアスファイブが鋲ジャンを着たり、カウボーイみたいな派手な格好をし出すんだけど、あれがあの当時のショーアップしたファッションだった。

普段はアディダスのジャージとかリーのジーンズを着てるんだけど、せっかくレコードを出してお金も入ったしもっとファンキーな感じにしようみたいな。そこに、バンバータが宇宙観やフューチャリスティックな感じを取り入れた結果、Pファンクっぽい派手な格好も出てきた。あと、実はニューウェーブ/パンク・カルチャーが重要で。ブロンクスで70年代に発生したヒップホップは最初凄いローカルな文化だったんだよね。それが80年代にダウンタウンに降りてくるの。『レディーブルー』っていうマルコムマクラーレンとも関係があるプロモーターがいて、彼女がネグリルやロキシーでやってたパーティにブロンクスのフラッシュとかバンバータを呼んでDJをさせるようになった、そこでヒップホップとニューウェーブ/パンクがクラッシュした。フラッシュたちはそこでニューウェーブ/パンク側にいたブロンディとかトムトムクラブとかと出会って、ずっとローカルだったヒップホップがダウンタウンのカルチャーと融合して音楽、ファッションを含めた文化的な大爆発が起きた。これがないとヒップホップはこんなに大きくならなかった」

Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force - Planet Rock

Blondie - Rapture



―ヒップホップを世界に広めた映画『ワイルドスタイル』と最高級の偽物ダッパーダンの台頭

「83年に映画『ワイルドスタイル』が公開されるんだけど、その当時はリーのセットアップとかカンゴール、あとカザールなんかが流行ってた。今と違ってみんなお金を持ってなかったからそれでも高級品で。80年代中盤のヒップホップを代表するファッションアイコンだったランDMCが履いてたのもリーが多かったんだけど、今と違ってアイロンでプレスして履いてた。それがLAの方だと80年代後半の方までそうやって履いてたり。ラルフとかはあの時代だとみんな高くて買えないからあんま着てないんだけど、逆に偽物がいいみたいな価値観も出て来て。85年くらいになるとエリックB&ラキムとかウルトラマグネティックMC’sのメンバーがレコードのジャケでダッパーダンを着ていて、ずっとMCMの生地かと思ったんだけど、よく見たらモノグラムがPOLOなんだよね。当時はダッパーダンの服なんてめちゃくちゃ高くて、本当にラップスターとドラッグディーラーしか買えなかったらしくて。みんなジープみたいなので店に乗り付けてオーダーするから、ジープの後ろに付けるスペアタイヤのカバーをダッパーダンで作るのがすごいステータスだった」

RUN-DMC - Run's House



―ブレイクダンサーとファッション

「ロックステディクルーに代表されるブレイクダンスのシーンにはまたちょっと別の流れがあって、お揃いのスウェットやジャージににフェルトのレタリングをアイロンプリンティングしたり。あれってレタリングセットがあるんだよ、持って来ればよかったな。80年代にはニューヨークの商店街にあるスポーツ用品店で字体を選んでオーダーできるところが沢山あったらしくて。ビズ・マーキーがレコードジャケットでよく使ってる書体と、もっと丸っこいのとかで3,4種類くらいあって。あと、ブルックリンのコニーアイランドにローズオブブルックリンのグラフィティサプライや服を扱ってる店があったんだけど、ローズのメンバーでグラフィティライターでもあるケイブスに『キャンバスのオールスターを買ってきたら描いてやる』って言われて、白いやつに名前を描いてもらった。昔はブレイキンのバトルをやる前にみんな名前を白のキャンバスに描いて、それでバトルしてたらしいよ」

rock steady crew - (Hey You) The Rock Steady Crew


―量販店とストリートの関係

「90年代に入ってくると、ほとんどのニューヨークの子達がドクタージェイズで洋服を買うようになっちゃうんだよね。ドクタージェイズの2階にジャケットのコーナーがあって、冬に置く商品って限られてるから、客の半分以上の人たちがそのモデルを買うから同じ服着た人たちが街に溢れる。今みたいにヒップホップのブランドがたくさんあるような時代じゃないし、チョイスがまだ少ないから店に飾ってあるのが流行る感じ。もっと金があったりとか、みんなと違うやつが欲しい奴らはテント&トレイルズやパラゴンスポーツっていうアウトドアショップに行って、The North Faceのシェルジャケット買うみたいな。ちなみに2000年代に入ってから流行ったマーモットのマンモスパーカー(通称ビギージャケット)は、ユニオンスクエアのパラゴンスポーツが売り出して人気になった。95年くらいにラルフとかトミーとかノウティカとかが流行ってたのは、34丁目のメイシーズの2階にそこら辺のブランドを扱ってるコーナーがあって、みんなそこで買ってた。最初に当時ファッションリーダーと呼ばれてたグランドプーバとか、レイクウォンがMVとかで着てるの見て、みんなも一斉に着だすみたいな」

オールドスクールは単に過ぎ去ってしまった色あせた日々ではない。ヒップホップファッション=ビジネスではなかった時代、Bボーイ達はレコードを2枚繋げてブレイクビーツを紡ぎ出した様にブートの生地をを組み合わせ、壁にスプレーでグラフィティを描く様に自分の名前をカスタムしていた。自宅の部屋から世界中のショップにアクセスできてしまう今の時代だからこそ、店では買えないフレッシュネスやアイデアで勝負していた時代を振り返ってみることが大事なのではないだろうか。第二回となる次回はKCD自身のファッション経歴を東京のシーンと共に振り返える。



KCDに訊くオールドスクール・ファッション史 東京編
https://kode.co.jp/Articles/style-hiphop_fashon_kcd_japan

オールドスクールファッション対談 KCD✕Panzo
https://kode.co.jp/Articles/style-oldschool_kdc_panzo


INTERVIEW: 東京ブロンクス

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