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本間貴裕がゲストハウスの先に見据える世界

最初のゲストハウス toco.がオープンしたのは2010年。今年設立8年目を迎えたBackpackers’ Japanは、東京・京都に4つのゲストハウスを構えるまでに急速にその規模を拡大している。この8年を振り返り、思い描いていたゲストハウス像に変化はあったのだろうか、そしてこの先どんな企みを抱いているのだろうか。Backpackers’ Japan代表・本間貴裕へのインタビュー後編は、彼らの展望について語ってもらった。

12年ぶりに戻った原点、オーストラリア

原点となったゲストハウス Sydney Railway Hostel

20歳だった本間が大道芸をしていた一画


そもそも本間がゲストハウスを始めるきっかけとなったのは、初めて1人旅をしたオーストラリアだという。当時20歳だった福島の青年は、日本はおろか福島県すら出たことがなく、未知の世界に心を踊らせて広大なオーストラリアへと旅だったのだが、初日にいきなりハプニングは起こる。宿泊予定だった知人の家が洪水で被害を受け、泊まるにも泊まれない状況に陥ってしまっていた。仕方なくバックパックを背負ってシドニーの路上でぼんやりしていた彼に、ある旅人が声をかけ連れていてってくれたのが、原点となるユースホステル「Sydney Railway Square YHA」だった。天井が高く、大きな窓からは光がふりそそぐ広々したラウンジがあり、そこに一歩踏み入れると、様々なところから訪れている旅人たちやホステルのスタッフが温かく迎え入れてくれたそうだ。初めての海外の路上で心細い思いをしていた本間を救ってくれたこの出来事について、「その時の光景や想いは今でもありありと思い出すことができる」と話す。

もうすぐ迎える設立10期目という節目を目前にして、12年ぶりにオーストラリアの地に向かった本間は一体何を感じ、目にしたのだろうか?実際にゲストハウスを運営するようになり、やはり見え方は大きく変わったのではないだろうか?そのような筆者の問いに対して、「良い意味で何も変わっていなかった」と穏やかな笑顔で教えてくれた。「あの時僕がつくりたいと思ったものを今つくれていると確認できたし、これからもそれは変わらない」と。


ー好きなヤツらと好きなことを、好きな場所でやる意味


現在約100名のスタッフを抱えるBackpackers’ Japan。様々な経歴をもつスタッフたちだが、皆に共通しているのは「良いヤツ」だということ。本間が掲げている採用基準の一つに「一緒にご飯を食べたいと思えるか」がある。つまり個人が持つ技能や能力を抜きにして、好きなことを共有できて楽しめること、そしてそれについて同じだけ熱くなれる相手かが重要なのだという。たしかに、ゲストハウスを訪れる宿泊客は異国の地で安らげる拠点として、その宿を選んでいる。心落ち着く空間を提供するためには、そもそもスタッフ同士が楽しんで場をつくる必要があるのだろう。本間がSydney Railway Square YHAで感じた温かみは、こうしたこだわりから再現されている。

「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を。」

この理念は創業当時から揺らぐことのない想いであり、また7年の時を経て実現したテーマでもある。こうして1つ目標を達成した本間だが、次に見据えている次の10年のテーマは「人と自然の境界線を越えること」だという。これから再び自然がもっと身近となり、暮らしに溶け込んでいくだろう。サーフィンが趣味だという本間は、自然と一体になる気持ちを知っているからこそ、こうした未来を描き、次のテーマに「自然」を採択したのかもしれない。そして、その試みは実は既に始まっていた。新店舗のCITANでは、ラウンジが地下にあることから「地下にある自然」をテーマとしたマテリアルを採用している。CITANという名称に込められた「はじまり」という意味の通り、本間は次のステップへと向かう準備をここから既に進めているようである。

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